源氏物語 宇治十帖24〜27

(二十四)浮舟の出家

源氏物語のひとつの捉え方として、沢山の女性が次々と出家していく話である、という考え方があります。

事実、出家した女性として、藤壷・空蝉・六条御息所・女三宮など、たくさんの人物が即座に思い浮かんできます。
宇治十帖のヒロイン、浮舟もやはり出家することになるのです。浮舟が出家する場面は、源氏物語屈指の名場面だと思います。

浮舟は小柄な女性ですが、当時の姫君達は2メートルぐらいは髪の毛がありましたから、出家するのもひと苦労なのです。横川の僧都は出家させる時であっても、若い女性とは決して同じ御簾の中には入りませんから、浮舟は御簾越しのまま下の方から髪をすーっと外に出してくるのです。そして、御簾の外にいる横川の僧都は、浮舟を出家させるため髪を切るのですが、実際は横川の僧都のような有徳な僧侶は、前髪を最初にほんの少し切るだけで、残りの長い髪は若い弟子、阿闍梨達が切るのです。若いお坊さん達は、殆ど女性と接したことあありません。そんなお坊さん達が、御簾越しに差し出される、それはそれは美しい髪の毛を切るわけです。美しい髪が美人の基本とされていたような当時は、男性は皆ある意味で髪フェチだった筈にちがいありません。そんな男性の前に絹糸を寄り集めたような、とてもきれいな髪の毛がやってくるわけです。女性との経験がまるで無いお坊さん達は、はさみを握るその手が震え、切った浮舟の髪がギザギザになってしまうのでした。

当時の女性の出家は頭を丸坊主にはせず、肩口で髪の毛を揃えるのです。肩口で髪を揃えて切らないといけないのですが、“しばし休らひけり”と書かれているように、若いお坊さん達は手が震えてしまって、浮舟の肩口の髪は不揃いになってしまうのです。不細工にも先がギザギザになってしまったので、若いお坊さん達は、「すいません。尼さん達が帰ってきたら、きれいに直してもらって下さいね。」と浮舟に言うのです。
髪を切り終えた浮舟に横川の僧都は、女性が出家したときの仏教の儀式を話します。「これからあなたは、お母さんのいる場所の方角に向かって手をついてお祈りし、出家したことを告げなさい。」と言います。すると浮舟は、「母が何処にいるのか、方角なんてわかりません。」と言って泣き崩れるのでした。

古来、横川の僧都が浮舟を出家させたのは、あまりにも軽卒な行為だったのではないかという人がいますが、でもこれが横川の僧都の持っている人としての器の大きさだと思います。若い娘が真剣に頼んでいたら、出家させてもいいじゃないかという、横川の僧都の心の広さが描かれているところです。

やがて、長谷寺へ参拝に行った横川の僧都の妹の尼僧達が帰ってきます。浮舟のその姿を見た尼僧は、兄の横川の僧都を怒ります。
「私に相談もせずに、どうして無断で出家させるの?! それに、浮舟も浮舟だ。何故勝手に出家してしまうの?!」と言って尼僧は嘆き悲しむのです。しかし、既に浮舟は髪を切ってしまっているわけですから元には戻りません。都に行く途中の忙しい横川の僧都も、やがて宮中へ向けて尼寺をあとにします。

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(二十五)薫、浮舟の生存を知る

そして、月日が流れていきます。
薫は以前と変わることなく仏教に興味を持ち、いつかは出家したいと考えていました。ですから、当時有徳な僧侶の第一人者であった横川の僧都のところに、時々、教えを乞いに行っています。
そのうち風の噂で、あるワケありの女性が小野の里にいて、何やらその女性は入水自殺しようとしたらしいが死にきれず、若くして出家し尼さんになっているという話を薫は聞くのです。“ということは、本当は浮舟は死んだのではなく、噂の出家している若い女性というのは実は浮舟のことだな”と薫は考えるようになります。浮舟は死んだものと思っていた薫は、その後浮舟の一番下の弟の小君を引き取って育てていました。そこで薫は、自分がいきなり訪ねていくのは事を大きくしてしまうので、小君に手紙を持たせて浮舟のところへ行かせます。
しかし、浮舟は実の弟が訪ねてきても、「人違いです。」と言って絶対に会おうとしません。薫からの手紙も開けて見ようとすらしないのです。薫は、浮舟が人違いだといって断固として会おうとせず、手紙も受け取らないということは、“実は浮舟は出家したのではなく、他の男に囲われているんだ”とゲスな勘繰りをし、そう邪推することによって源氏物語は終るのです。

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(二十六)女人成仏

古来、源氏物語の終わり方が非常に尻切れトンボだといって、源氏物語は完成した小説ではなく、未完の小説だと唱える人も沢山います。事実、源氏物語の終り方がブツ切れ状態だといって、続編めいたものも多く書かれています。
しかし、私はこれが実際、紫式部の考えた源氏物語の終り方だと思うのです。何故かというと、紫式部にとって一番いいたかったのは、何にも増して“女人成仏”ということだったと思うからです。この時代は、男性社会の時代ですから、この時代の女性というのはどんな女性であっても、レイプされて初めて男と女の関係が始まるという立場にあったわけです。当時、女性は不浄なものと考えられていましたから、女性が神社や仏閣に行って願い事や修行をしようと思っても、女性が入れて、尚且つ修行のできる寺院というのは限られていました。唯一、女人高野といわれた室生寺だけが女性の修行を認めていました。このような社会に対して紫式部は、女人成仏ということを言いたかったのではないでしょうか。男性社会の中で、男の言いなりになるしか生きていくことのできない当時の女性達。レイプされて初めて男性と女性の関係が成立するという不合理さ。

女性は不浄なものとされている世の中で、果たして女性は成仏できるのかどうか、それが紫式部の一番の課題だったと思います。

<宇治十帖>は、源氏物語の中ではホントに暗い、暗〜い話です。暗い話の最後の最後に、浮舟が出家して物語が終ります。あれほど浮舟のことを「好きだ、好きだ」と言っていた薫も匂宮もすぐに他の女性を好きになり、さらに薫は浮舟が手紙を受け取らないことを聞いて“実は他の男に囲われているんだろう”と、ゲスな勘繰りをしてしまう。それこそ救われないのは男だと、紫式部は言っているのではないでしょうか。“男なんて所詮はこんなものだから救われない。やっぱり成仏できて救われるのは女性で、女性こそ成仏できるんだ”という、確固たる確信が紫式部の中で持てたからこそ、筆を置くことができたのだと思うのです。

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(二十七)宇治十帖の終り方の意味するもの

源氏物語は考えようによっては非常に中途半端で、それ故いくつもの疑問を持たれる人も多くいると思います。何故、源氏が亡くなった切れのいい六十年のところで物語は終らなかったのか。その後、何故<宇治十帖>という残り二十年の話が続いたのか。など色々な疑問が浮かんで来ます。残り二十年の<宇治十帖>の話の終り方にしても、出家した浮舟に薫が手紙をよこし、それを浮舟が受け取らなかったという幕の下り方です。

これから先、薫と浮舟のやりとりがあって、まだまだ波瀾万丈のストーリーの展開があると考えられるのではないでしょうか。しかし、別の視点から考えてみると、小説というものは、小説を作者が書きながらも、登場人物がやがて一人歩きをして、生きてくるのが素晴らしい小説だと思うのです。小説というものは作者の手元で書かれていきますが、その時に作者の気持ちを離れて登場人物が一人歩きをして、どんどんどんどん次の生き方を生み人生を歩んでいく、その力にひきずられるようにして続いていく小説こそ素晴らしいのです。それが本当の意味での、生きている小説なのです。ですから源氏物語が、源氏が亡くなったところで終らなかったのも頷けることなのです。

物語の後半に薫、つまり女三宮と柏木の不儀密通の子が登場してきます。そして、紫の上がとても大好きで可愛がった三宮(後の匂宮)は紫の上の遺言どおり、二条院をもらって表舞台に立ちます。後半から登場してきたこの二人がどんどん一人歩きをしていき、それにつられるようにして紫式部が筆を続け、<宇治十帖>という作品が創られたのは、至極当然のことだと思うのです。

最後に紫式部は『往生要集』を書いた、恵心僧都源信の名を借りて、横川の僧都を登場させます。『往生要集』は、日本に体系的に浄土教思想を紹介した大著なのです。そういった人の名を借りているということは、女人成仏を一番の課題としていた紫式部の中には、やはり自分も極楽浄土に往生したいという強い願望があったとみることができます。最終的に浮舟が出家することによって、“女人成仏”に確信を持てたのでしょう。
学説的には確かではありませんが、源氏物語を長い間書き続けていくうちに、女人成仏ということに確信を持てるようになり、紫式部自身もおそらく書き終えた時には出家していたのではないかと私は思うのです。出家した紫式部が辿り着いた帰結として、女人成仏を確信したが故に、浮舟が出家した場面で源氏物語を終えるのは、終り方としてはひとつも不自然ではなく、これはやはり紫式部の考えに基づいた物語の終り方だと、私は思っています。

おわり

※当初の予定通り、一年で宇治十帖を終えることが出来ました。あと十年ほどかけて源氏物語すべてを語りたいとも思うのですが、そんな時間があるかどうか、少し考えてみます。

 

 

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