(十五) 薫、強引に浮舟と関係を結ぶ
大君の面影を追い続けて半生を送る薫は、大君の面影をもつ中君にアタックし続けます。あまりにしつこい薫に中君もだんだん嫌気がさしてきます。いい加減、嫌になった中君はついに薫にこう言います。
「ねぇ、薫様。あなたは私のことを、好きだ、好きだというけれども、本当はお姉さんの大君のことが好きなのでしょう。口では私と言いながら、私を見ずに実はお姉さんを見ているのでしょう。」と。ズバリ核心を突かれます。
「それほどお姉さんのことが忘れられないのなら、私よりもずっとお姉さんにそっくりな、腹違いの妹が実はいますから、その妹の浮舟と結婚した方がいいのではありませんか。」と、薫は中君に言われるのです。
うまいこと言って話をはぐらかそうとしていると思った薫は、この話を最初は信じませんでした。しかし、長谷寺の観音様の参拝途中の浮舟が、宇治の八宮の山荘に立ち寄った時、薫はその姿を垣間みてしまうのです。
「あぁ、大君。あなたは生きていたんですね。」と言って、思わず薫は飛び出しそうになります。それほど浮舟は大君そっくりだと描かれているのです。大君よりさらに若い浮舟に薫は心奪われてしまいます。
中君から浮舟の居所を聞いた薫は、三条にある浮舟の隠れ家に一気に夜這を敢行します。薫はこの時、浮舟といきなり関係を結んでしまいます。“添寝の薫”と言われている薫が浮舟との時は何故躊躇することなく関係を結べたのでしょう。ここはやはり、厳然とした身分というものがあるのです。大君や中君の腹違いの妹といっても、この二人に比べて浮舟の身分は低いのです。そういった身分の違いから、薫は浮舟を軽んじているところがあります。いくら女に目もくれず、仏教に憧れているといっても、身分の低い後腐れのない女房たちには、薫は手を出しています。浮舟と強引に関係を結んだ薫は、あくる日には浮舟を、大君との想い出の場所、宇治の山荘へ連れていきます。そして、浮舟は愛人のひとりになるのです。薫は、この頃になると、だんだん出世して忙しくなってきていますから、浮舟に会いたいと思ってもなかなか会いに行けないのです。
薫にとって浮舟は、大君の身代わりでしかありません。仕事に疲れ、哀しみや淋しさでどうしようもなくなった時に、大君との想い出を求めて宇治にやってくるのです。そんな留守がちの薫に、浮舟は淋しさを感じずにはいられないのでした。
(十六) 匂宮も、強引に浮舟と関係を結ぶ
一方、ガマガエルのような乳母に浮舟との間を邪魔された匂宮も、浮舟のことを忘れられずにいました。あれから“あの女はどこへ行ったのか”と不思議に思っていたのです。
ある時、宇治にいる浮舟は中君に宛てて手紙を書きます。この手紙をひょんなことから匂宮が見てしまうのです。そして、“どうやら、あの時の女は薫が宇治で愛人として囲っているのだな”と匂宮は気付くのです。そうなると匂宮は、もういてもたってもいられません。早速宇治にいる浮舟のところへ忍んで出掛けていきます。匂宮は薫の声色を使って、あたかも薫が久しぶりに訪ねてきたような素振りを見せながら、一気に浮舟をレイプしてしまいます。
いくら匂宮が浮舟のことを好きだといっても、親友の薫の女にこんなことをしてもいいのか、と思われるかもしれませんが、やはりこれも当時の身分の高い女性だったなら、匂宮もここまでしなかったでしょう。匂宮も最初は浮舟のことを軽んじていましたから、薫の想い人であっても、思いのままにレイプしてしまうのです。なかなか訪ねてこない薫をよそに、情熱家の匂宮は激しく浮舟に迫っていきます。淋しい思いをしていた浮舟は、熱く迫ってくる匂宮にどんどん魅かれていってしまうのです。
人目を忍んで逢瀬を重ねる二人ですが、匂宮にとって、薫と縁のある山荘で浮舟と関係を結ぶのはどうも落ち着きません。そこで匂宮は策を練るのです。浮舟が囲われている屋敷から宇治川を隔てた向かい側に、匂宮の家臣が汚いながら別荘を持っていました。そこのこと知った匂宮は、別荘を改装し、綺麗な“愛の小部屋”を造ります。
匂宮はまず浮舟のところに行き、そこから舟で対岸にある愛の小部屋に浮舟を連れていって関係を結ぶのです。浮舟が薫に囲われていた山荘が、現在でいう宇治上神社周辺とされていますから、愛の小部屋も宇治川を挟んだ反対側辺りと想像できます。そして、そこで二人の情事は繰り広げられるのです。
このあたりのセックス描写を大和和紀さんの漫画では、相当なところまで描いていますが、原本では間接的に匂わす程度の言い方しかしていません。けれども源氏物語の中で、セックス場面をそれなりに書いているのがこの箇所なのです。愛の小部屋に招かれた浮舟は、丸二日間も匂宮と一緒に過ごします。浮舟自身も着物を全て脱いでしまい、裸になった浮舟はとても華奢な体つきをしていたというような源氏物語には珍しい描写もされています。そんな熱烈な二日間を二人は過ごしたのでした。
情熱家の匂宮に連れられ、対岸の愛の小部屋に舟で渡っていく時、浮舟は有名な和歌を詠んでいます。
橘の小島の色は変わらじを
この浮舟ぞ行方知らやむ
この和歌の内容は“橘の小島の色は変わらなくても、浮舟のようなこの身の行末はわかりません”と言っているのです。二人の男性と関係を持ってしまった、将来の定まらない我身を浮舟は“浮舟”に例えているわけです。浮舟はこの時この和歌を詠んだことからその名が付けられています。源氏物語の登場人物の名前には由来があるのです。この時匂宮は、浮舟の肩を抱いて対岸を臨んでいるわけです。この時の情景を考えてみると、対岸が現在の宇治上神社なわけですから“橘の小島の〜”と詠まれている小島というのは、舟で川を渡っている時に見えてくる小島、すなわち橘島・塔島のことを言っているのかもしれません。
(十七) 薫と匂宮との間で翻弄される浮舟
やがて、浮舟と匂宮との関係は薫に知られていることになります。何故かというと、匂宮が浮舟のところへ使者として遣わした家臣が、薫の家臣に捕まってしまいバレてしまうのです。二人の関係を知った薫は激怒します。よりによって、あの匂宮と浮舟がそういう関係を持ったということに薫は頭にくるのです。
しかし、いくら頭にきても相手があの匂宮だけに、表立って糾弾することはできません。そこで薫は考えます。宇治川を挟んで東側一帯、現在でいう宇治上神社辺りから六地蔵ぐらいまでが薫の荘園という設定になっていましたから、そのあたりは丁度薫の荘園だったのです。この時代ですから、当然そこには武士がいるわけです。そこで薫は匂宮が忍んでやってきても、ちゃんと追い払えるように武士達を連れてくるのです。そして幾重にも山荘をとり囲み、匂宮が忍び込めないようにしているのです。
これから宇治十帖、雪降る夜の名場面が始まります。
情熱家の匂宮は、浮舟のことが忘れられません。“雪が降りしきっているある夜”、どうしようもなく浮舟に会いたくなった匂宮は、降り積もった雪の中を浮舟に会いに出掛けていきます。浮舟のところにやってきた匂宮は、いつもと様子が違うことに気付きます。見てみると、浮舟のいる山荘をガラの悪い武士達がとり囲んでいるのです。“これはヤバいかな”と思った匂宮は、家臣に様子を見に行かせます。すると家臣の者もやはり「匂宮様、今日はマズいです。このような日に行くと、とんでもないことになりますから、今日はお会いにならない方がいいですよ。」というのです。
匂宮ともあろう人が、雪の中せっかく宇治までやってきたというのに浮舟に会えずに帰っていくわけです。それでも浮舟宛に、“会いにきたけれども、会えませんでした”という手紙を伝言にして帰っていくのです。
匂宮が帰った後、当然浮舟も匂宮が近くまで来ていたことを知ります。浮舟は“あの匂宮様が私に会いに来て下さったのに、帰って行った”と聞いて苦しみ、悲しむのです。そして、やはり浮舟は二人の男性に身を任せてしまった自身を嘆くのです。
薫はとても紳士的で優しくしてくれる、でもそんな薫の優しさに接しながらも浮舟は、あの情熱家の匂宮の熱い吐息を思い出してしまうのです。そして、匂宮の身も心も溶けてしまいそうな愛を受け入れている時には、薫に対して、このまま地獄に落ちてしまいそうな後ろめたさを感じているのです。
二人の男性の間で揺れ動く我身の不運さに、浮舟は翻弄されることになります。
(十八) 宇治川
そのうちこのライバル二人は、薫も匂宮も自分の手元に浮舟を引き取ろうと考えます。奇しくも二人共日程を決め、「あなたを私のいる都に引き取りましょう。」といった形で引き取る日時まで定めてくるのです。
こうなるともう浮舟にはどうしようもありません。二進も三進もいかない状態まで追い詰められた浮舟は、“やっぱり二人の男性に身を任せた私が悪いんだ。私に残された道は入水自殺するしかない”と思い始めます。激しい雨の降るある晩、ひたすら入水自殺のことを考えている浮舟は、放心状態で宇治川の辺りを彷徨い歩くのです。
ここも紫式部の場面設定の見事さがうかがえるところです。宇治川は、今でこそ天ヶ瀬ダムができて川の流れも緩やかになっていますが、それでも梅雨の時期になるとダムの下流は恐ろしい程の流れになります。一旦身を投げ入れたら最後、生きては帰れないような恐ろしい川は、京都近郊では唯一宇治川だけなのです。最近でも水難事故が起きている宇治川は、やはり恐ろしい川なのです。
入水自殺してしまおうと彷徨っていた浮舟は、実際足でも踏み外したのでしょう。意識を失った状態で川岸に流れ着きます。そこは、匂宮と愛を交わした別荘とは反対側の岸になり、大きな屋敷の大木の根元でした。その大きな屋敷とは、宇治の院という仏教の修行をする場所で、そういったところに浮舟は流れ着くように設定されているのです。何故なら、、重要人物である横川の僧都が、この先登場してくる伏線が張られているからです。
次回に続く