(四)薫と大君・中君の出合い
自分の出生の秘密に悩み、日頃から出家を考えている薫は、出家はしていなくても仏教に対して非常に高い知識を持っている叔父の八宮が、宇治に移り住んでいることを風の噂で知るようになります。
この当時の宇治は、仏道修行をするような隠棲者達が移り住んでいく山奥だったのです。源氏の息子である薫は、宮廷の人の目もあり、表立って仏教を学ぶことができません。そこで、俗の聖と呼ばれる八宮のところへ行って、仏教を学ぶようになります。叔父である八宮のところへ行くのであれば、世間にそれほど厳しいことは言われないからです。薫は何かにつけて暇を見つけては宇治の八宮を訪ねるようになります。薫は、同じ屋敷内に二人の娘(大君と中君)がいることは、様子でわかりましたが、一度も顔を見ることはありませんでした。この頃の姫君は他人にむやみに姿を見せることはありません。特に若い男性には絶対です。ですから、当時の貴族達は暇さえあれば御簾のすき間から覗き見していたのです。
薫が八宮を尋ね始めてから3年が経ったある晩秋の夜のことです。暇ができた薫は仏教を学びに八宮を訪ねます。ところが、あいにく八宮は宇治の阿闍梨のところへ出かけていて留守でした。薫は“都から宇治までせっかくやって来たのにここで帰ってしまうのもどうか”という気持ちになります。そこで、ちょっと様子をみてみると、どこからか琴と琵琶の美しい音色の合奏が聴こえてくるのです。“あれは八宮様の娘の大君と中君が奏でているのだな”と薫は二人に興味をそそられます。せっかく来たのだから、という思いも手伝って、薫は姫君達を覗き見します。そこには非常にきれいで美しい姫君が二人いたのです。薫は可愛らしく愛らしい妹の中君がまず目に入り、そして、しとやかで慎み深くたしなみのある姉の大君を見てはっとするのです。宇治の山奥にこんなに美しい女性がいたのかと薫は驚きます。この頃の薫といえば、源氏の息子ということもあって貴族達から引く手数多の縁談話がありましたが、女性に興味を持てずにいました。そんな仏教に憧れていた薫でも、この二人の女性の美しさには、はっとするほど驚いたのです。特に、たしなみ深い姉の大君に心惹かれてしまいます。このあと大君は父八宮の留守を伝えるべく薫に応対するのですが、そのしとやかな応対振りにますます薫宮はポーッとなっていくのです。
薫と大君はやがてお互いを好きになりますが、そのプロセスが少々変わっています。大君は父親の八宮が都での政争に破れ、苦労してきたことを知っています。そして、八宮から仏教の知識をも学んでいる大君は、この俗世に生きているより、自分もいつかは出家して尼となり、仏教を学びたいと考えているのです。薫もまた、自らの出生の秘密からか出家を望んでいるわけですから、お互い仏教を目指す“同志”といった感情を持つのです。この二人が惹かれ合うのは男女のドロドロとしたものではなく、同じ目標の元にあり、純粋に惹かれ合っているといった考え方をお互いにしているからなのです。
(五)八宮の死
そのうち年月とともに歳を重ねてきた八宮の体調が勝れなくなってきます。ずっと出家をしたいと思いながらも、二人の幼い娘のためにできずにいた八宮は、薫がちょくちょく尋ねて来てくれるようになったことで、自分がもし出家をしても二人の娘の面倒は薫が見てくれるのではないか、と思うようになります。そして、八宮は薫に「私が死んだら、娘二人の後見をして下さい。」と頼むのです。後見を頼むとういことは、当時は自分の娘を嫁にとってもらうことを意味していました。
ある日、八宮は“もしかすると、これが最期になるかもしれないな”という意識を持ちながらも、二人の娘を残し、仏教の修行をするために、宇治の阿闍梨のいる山奥へ入っていってしまいます。そして、修行のために入っていった山奥で、八宮は生涯を終えるのです。
(六)大君、薫の求愛を拒絶
八宮の亡き後、薫は遺言どおり二人の娘の後見人となり、生活の面倒を見続けます。やがて、八宮の一周忌も過ぎた頃になると、崇高な気持ちで大君を愛していこうと思っていた薫も、男性として抑えがきかなくなります。男として、大君をいよいよ忘れられなくなり、ある夜ついに大君のもとに忍び込み、抱きしめてしまいます。物語の中には大君をその腕に抱いた薫が、大君の前髪をそっと払いのけた時、あまりの大君の美しさにあらためて驚いた、という描写もあります。この薫の行動に対して、大君は激しく怒ります。「私は、あなたとはこういう関係ではないと思っていました。同じ仏教に憧れる者同士という気持ちでいたのに、あなたがこんな無茶なことをするとは、夢にも思いませんでした。私が落ちぶれ果て、このような状態にあるので軽くみているのではないですか。」と。
本当は薫のことが好きな大君ですが、厳しい態度で断固として薫の要求をはねのけます。薫を見ていると、つい「添寝の薫ちゃん」と呼びたくなってくるように、いつも女性をその気で抱きしめていっても、女性が激しく拒むと、それ以上関係をもつことをやめてしまうのです。これは薫のジメジメした性格に由来しています。ですから、かたくなに薫を受け入れてくれない大君に、薫はそれ以上何もせず、一晩中話をして夜が明けていきます。朝を迎え、外の景色(現在でいう宇治上神社あたりから宇治川)を眺めながら、薫は大君に言います。「男と女の関係抜きで、人生を語り合い、仏教を語り合うのもまた、いいものですね。」と。それに対して大君も、「御簾越しにあなたと語り合う間柄もいいものです。」と返答しています。御簾越しとは、同じ御簾の中に入らない、すなわち男女の関係抜きの間柄がいいですね、と大君は言っているわけです。
しかしその後も薫は大君を忘れられず、都合3回忍び込みますが、ことごとく大君に厳しくはねつけられると何もできず、やはり“添寝の薫”で終わっているのです。強引さに欠けるのが薫なのです。薫のことが好きなのに、その想いを受け入れようとしない大君の気持ちは、表向きは同じ仏教に憧れる者同士の関係を重んじたいと思っていますが、本当のところは別にあったのです。
薫が始めて八宮のところにやってきたのは二十歳の時で、それから大君に出会うまでが3年。八宮の喪に服すこと1年で薫はこの時、24歳になっていました。大君は薫よりも二つ年上なので26歳になります。この当時の26歳というと、すでに容姿は衰えはじめています。
ここで大君が仮に薫の愛を受け入れ結婚(当時は一夫多妻制)するとなれば、その身は都へ引き取られてゆくことになります。都へいけば、いろんな貴族の女性や美しい姫君がいるだろうし、非常に強い後見をもつ姫君もいるに違いないと、大君は考えます。“今は愛されているかもしれないが、私のこの若さも永遠ではない。やがて容姿も衰えてくるだろう。そうなれば、いずれ私は飽きられて捨てられるに決まっている。”と、大君は身をもって感じているのです。ならば、薫との愛情をこのまま保ち続けるためには、男と女の関係にならずに、同じ仏教を目指す者同士として、人生を語り合う崇高な間柄で通した方が、一生薫の変わらない愛を受けることができる、という考えに至るのです。こういった思いから大君は、薫の愛を受け入れようとはしないのです。