(一)舞台は都から宇治へ
源氏の死後、物語の舞台は「宇治十帖」といって宇治に移ります。源氏の弟に八宮という人がいます。落ちぶれ、零落した八宮はやがて宇治に移り住むようになります。八宮が宇治に移らなければならなかったのには理由があります。
源氏が朧月夜の君と関係を結んだことが原因で、須磨に退去した時、弘微殿の女御と右大臣はチャンス到来と考えます。源氏のいない間に、源氏が後見人となっている東宮(のちの冷泉帝)を排し、源氏の弟の八宮を東宮にしようと策略するのです。源氏は父親の桐壷帝から東宮のことをよく頼まれています。しかし、二人の計画は失敗に終わり、八宮が東宮の位に就くことはありませんでした。
その後、源氏は須磨から明石に行き、やがて都に戻ってきます。源氏は政権の座にカムバックすると、自分の不遇の時によくしてくれた人には、後押しを惜しみなくします。この辺がただの女たらしではないのです。しかし、自分を見限った人に対しては、いつまでも根に持ち、最後の最後まで恨みを忘れませんでした。ですから、自分が須磨に退去した時、現東宮を排斥し、自ら東宮になろうとした八宮が気に入りません。源氏は事あるごとに八宮に敵対するようになります。表面的には厳しい態度を見せず、八宮を無視します。政権の中枢を握っている源氏から無視されることによって、八宮は政権の表舞台に二度と立てなくなります。そして、八宮は非常に零落してゆくのです。
そうこうしているうちに、八宮の都の屋敷が焼失するという事態が起こります。既に不遇の境地に陥っていた八宮には、都に新たな屋敷を再建することができません。そこで、やむを得ず山荘のあった宇治に二人の幼女を連れて(既に母である妃は他界)移り住むことになるのです。
紫式部は山荘のあった場所を現在の宇治上神社のあたりと場面設定しています。八宮は落ちぶれていった境遇からか、仏教への信仰心が大変厚く、宇治へ行ってからも宇治の阿闍梨と呼ばれる、有徳な僧から仏教を学んでいます。宇治の阿闍梨の元へことあるごとに八宮は通うことになります。本当は出家を望んでいる八宮ですが、二人の幼子のことが気に掛かり、どうしても出家することができません。そこで”俗の聖”という形で、普段は普通に過ごし、実際にはお坊さんと同じような修行をするといった生活を八宮は送るのです。
(二)『宇治十帖』主要な登場人物
『宇治十帖』の中でポイントとなるのは、三人のヒロイン達です。一人は八宮の長女の大君、二人目は次女の中君、そしてもう一人がよく知られている浮舟です。実はこの浮舟も八宮の娘で、八宮と身分の低い女性との間に生まれ、大君や中君とは別のところで暮らしていました。つまり、八宮には大君や中君にとって腹違いの妹になる娘がもう一人いたということになります。
八宮の娘の三人のヒロインに対して、男性側の主人公といえば、薫とにおい匂宮の二人です。
まず、薫は源氏が最後に娶った女三宮と、柏木との不儀密通の子供です。表向きは源氏の子として育てられます。一方の匂宮は源氏が明石の上との間にもうけた一女、のちの明石の中宮の三の宮として生まれます。三の宮は、紫の上の手元で大切に育てられ、紫の上は、自らが病で亡くなろうとしている臨終の場に、幼い三の宮を呼び、遺言として二条院を護ると云い残しています。そして、「命日には私を思い出し、梅や桜を供えてほしい」とも言っています。その幼子が成長して匂宮なり、薫とともに『宇治十帖』の主人公になるわけです。
源氏物語の登場人物の名前はエピソードに由来している場合が多くあります。薫は、身体中からいい香りが漂うという特異体質から薫と呼ばれているのです。
それに対してライバルの匂宮は薫に負けじといろいろな香りを探し出しては自分の衣服に香りを焚きしめていたのです。そして、いつもなんともいえない匂いが漂ってくることから、匂宮と呼ばれるようになったのでした。
(三)『宇治十帖』に入り源氏物語は第三世代に
源氏物語は源氏が亡くなるまでの60年間と源氏亡き後の20年間との計80年におよぶ長い長い時代の小説です。第一世代は源氏と頭の中将。第二世代は源氏の子供である夕霧と頭の中将の子供の柏木。そして第三世代の匂宮といえば源氏の娘、明石の中宮の子供ですから、源氏の孫にあたります。また、薫は表向きは源氏の子供とされていますが、実際は柏木と女三宮の子供であり、頭の中将の孫ということになります(柏木は頭の中将の長男)。こういったことから、『宇治十帖』は第三世代といえるわけです。
ここで、源氏物語に登場する6人の男性主人公の性格について触れておきます。源氏物語の中で“暗い”といわれる人を3人挙げるとすると、まず薫です。薫は自分の出生について疑問を抱いています。何故なら母である女三宮は若いうちから出家し、一方、父である源氏も自分にはどこかよそよそしいのです。“これは何かおかしいな”と常日頃感じているのです。ですから、薫は物心のつく頃には暗くジメジメした性格になっていました。薫の暗さはひと言でいえばハムレット型の哲学的な暗さです。人生の苦しみを自分独りの肩に全て背負い込んでいるかのような。ですから、仏教への憧れも強く、この俗世で政権の中枢に立つより、出家したいと薫は考えていたのです。
あとの二人は、源氏物語第二世代の夕霧と柏木です。この二人の暗さは生真面目なタイプといえます。やることなすことがどことなくおかしく、滑稽にみえてしまうのが夕霧です。それに比べ、一方の柏木は一心なのです。ひとつのことしか目に入らず一心不乱になり、非常に視野が狭いのです。柏木が女三宮に憧れたのも、自分の妻は絶対に皇女でなければならない、と強くこだわっていたためです。
残る三人、第一世代の源氏と頭中将は女性とみれば追いかけ回す様なイケイケの明るさですし、匂宮も祖父の源氏君そのものといった性格なのです。